1978年生まれ
和歌山県出身
大阪文化服装学院を卒業し
大阪の紳士服会社でスーツ作りを学びながら
本場のイタリアミラノでの仕立てに憧れを抱き
2002年単身でミラノに渡る

2002-2003 Sartoria Mario Pecora
2003-2011 Sartoria Enrico Livio Colombo
2011-2014 Sartoria Ferdinando Caraceni

ミラノの老舗サルトリアで修業し
2014年から自らのサルトリアをスタートさせる

2002~2007 2007~

2002年、ミラノのモンテナポレオーネ通りにあったSartoria Mario Pecora ペコラ氏の下でサルトへの道をスタートさせました。初めは語学学校に通いながら言葉の壁を感じながらも必死で頑張りました。
針と指ぬきにようやくなれ、裏地のまつりや袖作り、ハ刺し、時にはペコラ氏の奥さんにボタンホールを教わり、アシスタントとしての仕事を着実にこなしていました。ですがよく外出を頼まれることがあり、なかなか縫い物を思う存分できない日々が続きました。

ちょうどそんな時、一緒に働いていた職人の紹介でEnrico Livio Colombo氏と出会います。彼はサルト育成に一生懸命でミラノでも有名なサルトでした。お話をさせて頂き、自分にあった職場環境だなと思い、思い切ってサルトリアを移ることを決意しました。 そこにはヘッドカッターのコロンボ氏、彼を支える3人の職人、私はすぐに彼らの下で修業の日々に明け暮れました。職人達は一生懸命な日本人にたくさんの業を教えてくれました。まずは前身頃の芯据え、ポケット、 ラペルの見返し据えなど、翌年には脇縫い 、肩縫い、袖付けなど、職人達は出し惜しみすることなくサルト育成に力を注いでくれました。彼らのおかげで2005年、念願であった、ラボランテフィニートへの昇格が認められ、コロンボ氏から服一着の丸縫いを許されました。これは、相撲界での序ノ口力士が幕内に上がるような感じで、見習いサルトの大きな夢でもあります。

アシスタントからラボランテフィニートへ。いざ、スタートしてみたものの厳しい道のりでした。熟練した職人達は仕立ての良し悪しを一瞬で見分ける事ができます。 私はそこまでの実力を備えていなかったのか高い完成度を表現する事ができませんでした。彼らになんとか近付くためにサルトリアに遅くまで残り、完成した服の納得のいかない箇所を解き、縫い直し、時には服の不出来にコロンボ氏から厳しく怒られ、完成度の高い服作りに毎日励みました。今、思えば一番辛い時期でしたが最も服作りを学んだ時期でもありました。

2007年、コロンボ氏の右腕として働いていた職人が引退しました。その後任を任されフィッティングルームでの仮縫いをコロンボ氏の下で拝見する事が許されました。高貴たる顧客達との仮縫い風景はものすごい緊張感で、素晴らしい経験でした。コロンボ氏は私に出し惜しみすることなく、フィッティングルームでの仮縫い後の型紙補正を一つ一つ丁寧に説明してくれました。新規のお客様の場合は採寸方法 、型紙作成も丁寧に教えてくれました。その後もコートや燕尾服、ズモーキングなどの特殊アイテムも任せられるようになりました。

2011年、更なるスキルアップを目指してSartoria Ferdinando Caraceniで働き始めます。フェルディナンド氏は2004年に亡くなりましたが、40年間、彼の右腕としてカラチェニを支えてきたヘッドカッターのダンジェロ氏の下、ラボランテフィニートとして新たにカラチェニの服作りを学ぶことができました。そこでもフィッティングルームでの仮縫いの様子を見る事ができ、カラチェニのスーツスタイルを理解する事ができました。翌年には、カラチェニの顧客でイタリア元首相のベルルスコーニ氏、イタリアの企業家、デッラ ヴァッレ氏などの服も仕立てました。

2014年、ミラノにサルトリアを開くという大きな目標を掲げ、個人での活動をスタートしました。